在日韓国人の組織的動員の成果か、最近近所のスーパーなどで、韓国人歌手の曲をよく耳にするようになった。男性歌手ばかりだが、なぜかやたら裏声で歌っているし、妙なところで発音の仕方がおかしいので、はっきり言って気持ち悪い。テレビやラジオなら気に入らなかったら消すことができるが、少なくとも買い物中は半ば強制的に聞かせられるのだから、たまった物ではない。


もっとも、反韓は通り越しているので単純に韓国人だから嫌だという訳ではない。外国人としては上手な日本語だと思うが、対価を払ってまで聞きたいとは思わない。なぜか80年代風のバラードだったりするのでなんで今頃?という感じがする。それより歌詞に感情がこもっていないと思う。日本語ではなく単に日本語と同じ音を出しているだけだという感じがする。


キチンと歌詞の意味を理解していたとしても違和感は拭えない。というのも同じ単語でも、文化によって厳密に意味するところや、その言葉に対し持っているイメージや感情が違うからだ。例えば「愛」や「恋」という単語でも日本人と韓国人ではその言葉を聞いたときに何を感じるのか、その言葉が社会的にどういう意味を持っているのかということは違うのである。


結果としてその言葉を歌詞として歌ったときの感情の入り方にずれを感じるのである。これは別に日本人と韓国人だけということではない。例えば日本人が英語で歌を出したとしてその発音が完璧に近い物であっても、英語圏の人は同じような違和感を感じるだろう。


国や文化が違う以上日本と韓国では社会的なコードが違うと言ってもいい。もう一つ別の例を挙げるとロッテのCMで見るペやチェの感情表現の表情に感じる違和感が有る。これも、日本と韓国の文化の違いが、人がどの場面でどんな表情をするかという社会的コードの違いが原因だ。


ところで、日本語と英語の場合はデフテックやオーシャンレイン、モンキーマジックなど、最近はそういう垣根を乗り越えた人たちが出てきている。両方の社会をバックグランドに持っている彼らならそういう違いを感じていないのかもしれない。こういう自然な形での融合が本当の国際化ということだと思う。「近隣なんだから韓国や中国とは何が何でも友好しなければならない。」こういう半ば強迫観念のような押しつけの友好は本当の国際化ではない。