日本は多民族の嘘


麻生総務相は15日、福岡県太宰府市九州国立博物館(九博)であった開館記念式典の来賓祝辞で、


「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と話した。


朝日新聞から(http://www.asahi.com/politics/update/1016/001.html


このような発言があれば必ず反論として、


日本にはアイヌ琉球の人々がいるとか、古代には、日本は朝鮮や中国からたくさんの人々がわたってきたから日本は多民族であるという主張が出てくる。


そういわれると、確かにそうであり、これらの主張は正しいように思える。


しかし、これは誤解がある。こういう主張をする人々が、民族という言葉を、部族や血族あるいは種族という言葉と意図的に混同しているからである。


近代国家において、民族とは血族でも部族でもない。


民族とは医学的に先天的に決定されるものではない。本人の自覚によって後天的に決定されるものなのである。


民族とはすなわち、同一の言語を話し、同一の価値観、あるいは宗教観を持つことで、自分たちは同じ社会集団を構成していると自覚する人たちのことである。


つまりその人の先祖がどこからやってきた人であっても、現在生きるその人が、日本語を話し、日本人としての自覚を持っていれば、遺伝や、過去の先祖の歴史的経緯とは関係なく、日本民族であるといえるのである。その意味において日本は単一民族、単一言語単一文化の国といえるのである。


つまり先祖が琉球人だろうとアイヌ人であろうと本人の気持ち次第なのである。


わかりやすい例を2つ挙げよう。


1、日本人と韓国人の間に生まれた子供は両方の遺伝的要素を半分ずつ受け取っている。ではこの子を遺伝や血縁で日本民族か、朝鮮族か分けることができるだろうか?


均等に二分の一ずつの形質を受け継いでいる以上、医学的に決定することはできない。結局本人の自覚によるしかない。


2、ヨーロッパでは、ハンガリースロバキアを併合し、オーストリアハンガリーを併合して、オーストリアハンガリー二重帝国が出現した、さらにそのオーストリアが今度はドイツに併合され、ドイツオーストリア帝国になった。


ドイツオーストリア帝国では、政府や官僚を構成する支配民族はゲルマン民族であった。しかし、これは必ずしも血族、部族としてのゲルマン民族ではない。チェコ人や、ハンガリー人であっても、ドイツ語を母国語として選択し、ドイツオーストリア帝国の価値観を共有する人であれば、出身国、先祖の民族に関わらず、政府や官僚になる資格が得られ、ゲルマン民族として認められたのである。


このように民族とは人為的、選択的、本人の自覚による後天的要素なのである。


だいたい、古代の血族や部族を民族とするなら、日本人以上に民族の混血が進んだ歴史を持つ朝鮮族漢民族も存在しないことになる。


ある基準を一つの集団に適用しようとするときはその基準がそれ以外の集団にも当てはまる一般化された基準なのかどうか客観的に検証してみる必要がある。


日本は多民族だという人は朝鮮族漢民族が多民族であると認める人なのだろうか?