日本と韓国は和解しなければならない?

韓国はよく日本に対して、「日本と韓国の歴史的なわだかまりを解かなければならない。日本と韓国は和解しなければならない。そのためには日本が努力しなければならない。」というようなことを言うが、よく考えてみれば、なんでわだかまりを解かなければならないのだろう?和解しなければならないのだろう?


例えば国家と国家の関係を個人と個人の関係に置き換えてみれば、別に他人同士わだかまりが全くない関係なんかないんじゃないだろうか?例えば職場でも近隣関係でも学校でも、友人関係であってもすべての人と人が全く何のわだかまりのない関係なんかあり得るだろうか?


互いに別の人格である以上、互いが互いを100パーセント理解して全くその人の思う通りに行動してあげるなどということはありえないだろう。互いに主体が有る以上自分の行動が100パーセント相手の願望道理に行動するということはあり得ない。


だからこそ例え親兄弟や友人恋人同士でも互いに相手に失望したり落胆したり反対に相手を傷つけたりそういうことをしながらそれでも関係を作っていくのが普通の人間関係だ。


もし100パーセント相手の願望道理に行動する人がいたら、その人は完全に自己の主体を失ってしまっている人であり、精神的に相手に支配されている人で、決して対等で平等な正常な人間関係ではないだろう。


しかし韓国が日本に言ってきているのはつまりはそういうことで、日本が100パーセント韓国の主観を受け入れて韓国の主体に従属することを要求してきている。これは明らかに国家間の基本的な関係である「対等平等独立の原則」の精神に反している。日本が韓国に精神的に従属せよと行っている。


ではなぜそうしなければならないのかと言えば、「日本と韓国は隣国同士で、離れようとしても逃げることはできないからだ。」ということである。


一見確かにまともなようだがこれも実はおかしな理屈で、個人関係に置き換えれば「隣人とは何が何でも友好しなければならない」と言っているのと同じことになる。しかし日本人の感覚で言えば、隣人イコール友人ではないし、いくら距離が離れていても友人は友人であり、いくら近くに住んでいる人間同士でも全く関わりを持たない関係なんていくらでもある。


もちろん、隣人は無関係といっても地域社会の一員としての節度ある関係はある訳で、友人でなければ敵というような2極分化の関係ではない。日本人の人間関係においては、大多数の人間は敵でも友人でもない無関係の人間である。


日韓関係ももっと冷静に見た方がいいんじゃないだろうか?敵でも見方でもない隣国関係でいいんじゃないだろうか?個人関係でも、好きでもない人間とただ隣同士というだけで何が何でも友好関係になけばならないということはあり得ないだろうから。


まして日本と韓国は親兄弟や親戚でもない互いに赤の他人である。中国と韓国の歴史的な関係、韓国と北朝鮮の関係に比べたら、日本と韓国の関係はまさに水のように薄い関係である。だから強迫症のように「何が何でも日韓友好とか、わだかまりを解く」とか言うような言葉に惑わされずに、普通の外国との2国間関係でいいのではないだろうか?それで困ることは何もないはずだ。


「君子の交わりは淡き水のごとし、小人の交わりは甘き蜜のごとし。」あまり近すぎるから相手の嫌な面も見えるし、互いに影響を与え合いすぎて不快に感じることも出てくる。日韓はもっと距離を置いてお互いを冷静に見られるぐらいの関係がちょうどいいい。人間は動くことができるが、国家は動くことができないのだから、国家間の物理的な距離と国民間の精神的な距離は別物だと考えるべきだと思う。その辺を混同して、「隣人隣国だから友好しなければならない。和解しなければならない。」という観念に縛られているからややこしいことになるのではないだろうか?


戦後の日韓の関係は、韓国がだだをこねる子供で、日本が子供に甘い親のような関係だった。しかし韓国が独立して既に60年。子供を甘やかすようなことはもう止めて、互いに大人の関係になるべきだろう。